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◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略 VOL.1
 江田島孔明

△ 戦略(Strategy)とは
 古代ギリシアの意思決定は市民集会だ。20歳から60歳の人を集めて市民集会をするのだが、そのうちに人が集まりすぎて話がまとまらないということが分かってきて、その町ごとで代表を出すようにした。その代表が100人委員会を作るわけですがそれでもまだ多いというので、その100人委員会の中からさらに非常に前向きで物事を考えられる人を10人集め、その10人の組織を「ストラテゴ」と呼んだ。
 これは戦略の英語の「ストラテジー」の語源である。そのストラテゴというのは何かというと「構想」なのだ。要は都市国家をどういう都市国家にしていこうかという構想を持つことが、元々「ストラテジー」、「戦略」の意味なのだ。
 現代日本には、このストラテゴがいないことが最大の不幸である。ギリシア最高のストラテゴであるペリクレスをはじめ、世界史上の例を参考にして、戦略をランドパワーとシーパワーの観点から考察する。
 世界史を通じてランドパワーとシーパワーを理解することは、孫子の説く、「敵を知り、己を知る」ことでもある。

△ それぞれの定義
 ランドパワーとシーパワーについて、分析し、定義してみたい。ランドパワー(大陸国家)は、主に大陸内部、半島部、砂漠を故郷とし、土地支配に執心し、極めて土着的性格を有し、閉鎖的、集団的、専制的といった形質を備える。古代ペルシャ、近代プロイセン、ナチス・ドイツやソビエト・ロシア、中国の華北政権(元、清、中共)、あるいはプロイセンの門下としての大日本帝国陸軍を例にとると分かりやすいだろう。 簡単に言えば陸軍国である。
 彼らは生命の揺り篭たる「海」から切り離された峻厳なる自然環境の下で、異民族と接しながら生存競争を繰り返す過程で、生き抜く上での狡猾さ、残忍さ、獰猛さを身に着けた。第二次大戦中のナチスドイツの残虐行為、中国の天安門事件、ロシアのモスクワ劇場人質事件における両国の対応はこのランドパワーの獰猛性を抜きにしては考えられない。
 歴史上の流血を伴う革命(フランス革命、ロシア革命、文化大革命等)、残虐行為(ナチスによるホロコースト、カンボジアのポル・ポト派によるジェノサイド等)のほとんどがこのランドパワーによって引き起こされていることも無視できず、これもランドパワーの残忍さ、獰猛さを考えると説明がつく。これは、隣国と常に国境線を挟み軍事緊張下にあり、攻め込まれるかもしれないという恐怖心の裏返しなのである。
 例として、ナポレオンやヒトラーが最終的にロシア(ソ連)に攻め込んだのは、歴史的に欧州大陸部が東方の蛮族(フン族、モンゴル、オスマントルコ等)によって侵略の恐怖を与えられてきたことに対する反射という視点を抜きにしては語れない。
 ホッブス(ホッブズ、トマス(1588-1679)イギリスが近代国家となっていく時期の政治思想家)はその著書「ビヒモス(旧約聖書に出てくる陸の魔獣:後述)」において、革命、内乱を説いているのはそういう背景を知らねば理解できない。
 これに対してシーパワー(海洋国家)とは大陸の外縁部、島嶼部を故郷とし土地支配よりも交易を重視し、交易のために必要な情報を尊び、先進的、開放的性格を有し、個人的、合理的形質を備える。古代ギリシャのアテネ、中国の華南政権(呉や南宋、明)、近代のオランダやイギリス、第二次大戦以後のアメリカ合衆国、イギリスの門弟としての大日本帝国海軍を例にとると分かりやすいであろう。簡単にいうと海軍国である。
 ホッブスがその著書「リバイアサン(旧約聖書の大海獣)」に近代国家としてのイギリスを仮託したのは、その本性がシーパワーであることを見抜いていたからである。慧眼というしかない。これら民族、国家はなぜ、ランドパワー、シーパワーとなったのか、どのような特徴、歴史的背景があるのかを考察してみたい。

△ ランドパワー
 ランドパワーは地理的要因で説明できる。海岸線から離れた内陸部もしくは砂漠で異民族と、あるいは半島で大ランドパワーと境を接するということは、生存そのものが激烈な闘争である。
 このような環境で、常に軍事的緊張を強いられ、裏切りの恐怖から自国民や国内異民族に対しても猜疑心が強く、狡猾かつ峻烈なる精神構造となった。読者諸兄におかれては、テレビのニュースでランドパワー諸国の指導者を見ることも多いであろう。その際、彼らの目が、握手、抱擁している時であっても、決して笑っていず、刺すような鋭さがあることに気づかれたであろうか。歴史的に築かれた人間の精神構造は口ほどに物を言う「目」に良く現れるのである。欧州の古い格言、”Homo homini lupus ist”「人は人に(対して)狼である」はランドパワーの人間観を物語る。
 このような人間観を前提として、応報刑に基づくハンムラビ法典、旧約聖書の十戒や、自然状態を万人の万人に対する闘争として、契約でそれを縛る、すなわち社会契約、中国の法家という思想が生まれ、犯罪に関して、一族全てに責任を問うたりもする(その罪九族に及ぶ)。
 人間不信の裏返しとしての、厳密な身分制度もこの文脈で理解され、北朝鮮が自国民を構成成分(親の地位に基づく)に分ける統治のやり方もこの例である。更に重要な視点として、農耕の開始が挙げられる。
 日本では一般に、平和愛好的な農耕民族と、好戦的な狩猟民族という観点で語られることが多い。そういった面も確かにある。しかし、よく考えていただきたい。狩猟民族が「好戦的」なのは獲物に対してである(これは、好戦的ともいえないかもしれない)。人間に対して好戦的である必要はない。獲物がいなくなれば、他所へいけばいいだけのことである。この例として、GREAT JOURNEYが挙げられる。(農耕開始の遥か以前、人類の先祖は400 万年前、東アフリカの大地溝帯に誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最南端パタゴニアへ到った。この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者B.M.フェイガンは"GREAT JOURNEY "と呼んでいる。)
 一方、約6千年前、西アジアで農耕が開始されて以来、土地を耕すということはとりもなおさず、土地が生活の基盤となるということであり、これは、侵入者には命がけで抗戦するということである。灌漑や農業のため、大規模な動員の必要から、初期の王権が形成され、国家を築き、戦争の始まりとなったのである(四大文明)。
 ランドパワー諸国の都市は城壁で囲まれていることが多い。裏を返せば、それだけ、土地を巡る戦いが絶えなかったということである。日本や西欧において、土地を媒介にして封建制度が成立し、武士や騎士といったランドパワーの戦闘集団を産んだことも見逃せない。冒頭で紹介した定住農耕の弥生が戦国時代であり、漁労採集(焼畑はあったようだが)の縄文が平和な時代であったのもこの文脈で理解される。人類史的に見て、土地に拘る事こそが、戦争を生み出した要因なのである。鎌倉幕府御家人の「一所懸命」という誓いこそがランドパワーの真髄なのだ。

△ シーパワー
 一方シーパワーはどうか。シーパワーの成立は沿岸部、島嶼部に生息するという地理的条件だけでは説明できない。何故なら、上記のイギリス、オランダ(16世紀以前はカソリックという閉鎖的精神構造)や日本(平安時代、鎌倉時代、江戸時代)は、小ランドパワーとして内に篭っていた時期があり、これら諸国がシーパワーとして海外に乗り出していったのはそれぞれ理由があるのである。
 イギリス、オランダにおいては、前提として閉鎖的、集団主義的カソリックを捨て個人主義のプロテスタント(イギリスにおいてはイギリス国教会)を受け入れたことも大きい。イギリスやオランダは東方貿易の実を挙げようとしても、大陸欧州は仏独に支配され、シルクロードはイスラム教国というランドパワーに支配され、かつ、国内での産業革命が海外への市場を求めた。
 即ち、海上航路しか東方にたどり着く手段がなかったのである。裏を返せば、仏独、イスラム諸国を排除できるだけの強大な陸軍を保有するほどの王権を持たず、国力のない、農業生産力に劣る、島国、沿岸部であったことが、あえて、危険な航路を選択させ、それが出資者たる商人(金融資本)のリスク分散の手段として、証券取引、為替、中央銀行といった資本主義の原点を生んだのである。国王が富裕でリスクを全て負える体制であればこのような資本主義は発展しなかったであろう。前提として、商業活動を是認するプロテスタントであったことが大きい。
 余談であるが、イギリスの貧弱なバッキンガム宮殿とフランスの壮麗なベルサイユ宮殿を両方訪れたことのある方は、シーパワーとランドパワーの王権の力の差を感覚的に理解できるであろう。農業生産力だけみれば、10倍以上の差があり、王権すなわち、動員できる兵力もそれに比例して大差があったと思われる。中世において、イギリス王がフランス王の臣下であり、1066年(The Norman Conquest :1066年証聖王エドワード亡き後、ウエスト・サクソンの貴族ハロルドが王位についた。そこへノルマンディー公ウィリアムが異議申し立てをしたのがことの始まりである。エドワードが生前、自分に王位継承を約束していたと主張。しかし、受け入れられず、ウィリアムは八千の軍隊を引き連れペベンジーに上陸、10月14日ヘースティングの郊外バトルの戦いでハロルドを倒した。こうして、ロンドンに入ったウィリアムはウエストミンスター寺院で戴冠式を行い王位につき、全英は間もなく平定され、ロンドンが新しい首都に定められた。)にはフランスに侵略されたりしているのである。
 金融資本が登場する以前の中世イギリス王権はかくも脆弱だったのである。近代日本において、事情はより深刻である。すなわち、シーパワーにならなければ植民地化されるという恐怖である。幕末、長州藩の伊藤博文や高杉晋作は藩命でイギリス留学する際に立ち寄った上海で白人の疎開の、「犬と中国人は立ち入るべからず」という立て札を見て、全てを悟ったのだ。この過程は後述する。
 シーパワーがランドパワーになった(戻った)例もある。スペイン、ポルトガルである。スペイン、ポルトガルは中世末期、東方貿易に乗り出した。当時、胡椒は大変な貴重品であり「コショウ一粒は黄金一粒」と交換された。ヨーロッパは肉食の文化であり、まだ冷蔵庫のない時代、それひとつで防腐、消臭、調味に役立つ胡椒は、食生活に欠くことが出来ない貴重品であった。
 ところが、その胡椒は熱帯地方のみで栽培される香辛料であり、温帯、亜寒帯に属するヨーロッパでは栽培が不可能。非常に高価だったのもこのためで、胡椒の入手はヨーロッパとインドを行き来するジェノバ商人たちによる東方貿易によってまかなわれているに過ぎなかったのである。
 15世紀中期、この東方貿易が大問題に直面する。1453年、7代スルタン、メフメト2世率いるオスマントルコ帝国が、神聖ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥れる。これにより神聖ローマ帝国は滅亡。コンスタンティノープルはイスタンブルと改称され、オスマントルコ帝国はこの地を新たな首都とし、ヨーロッパとインドの間に広大な領土を築いたのである。このため、東方貿易は通行の手段を失い事実上不可能となり、同時に胡椒の道も閉ざされてしまったのである。
 ここで、道を奪われたジェノバ商人達は他のルートに目を向けざるを得なかった。このときジェノバ商人たちが接近したのが、イベリア半島でイスラム勢力を駆逐し、国土回復を達成したポルトガル・スペイン両王国である。国土を回復し領地獲得の野望に燃えていた両国にとってもジェノバ商人の持ちかける話は魅力的なものであった。
 スペイン、ポルトガルは英蘭と異なり、国王が出資者となり船を仕立てて東方目指して出航した。言い方を変えれば、交易のリスクを国王が負ったのである。
 この時代は特に羅針盤の改良、造船技術の発達、地理・天文学の向上により遠洋航海が可能になりはじめた時代でもあった。地中海経由の東方貿易が不可能であるのならば、アフリカ経由でアジアに行けないか。商人たちはこう考えたのだ。世に言う大航海時代の幕開けである。
 いち早く国土回復を成し遂げたポルトガル王国が大西洋に飛び出す。1445年航海王子エンリケの派遣船がアフリカの最西端ヴェルデ岬に到着、アゾレス諸島を中心に植民を繰り返し、1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達。1498年にはバスコ・ダ・ガマがアフリカ経由でインド洋に入りインド西岸カリカットにたどり着いたのであった。
 国土回復にもたつき、一歩出遅れたスペイン王国も女王イザベル1世のもと大航海時代に乗り出す。カスティリア国王ファン2世(位1406〜54)の娘イサベル(後のイサベル1世、1451〜1504)は、1469年にアラゴン王子のフェルナンド(後のフェルナンド5世、1452〜1516)と結婚した。イサベルは兄の後を継いでカスティリア国王となり(1474)、夫のフェルナンドも父の死後アラゴン王となったので(1479)、カスティリア・アラゴン両国は合邦してスペイン(イスパニア)王国となった。フェルナンド5世(位1479〜1516)とイサベル1世(1479〜1504)はスペインを共治し、1492年にイスラム教徒の最後の拠点であったグラナダを陥れ、ここにレコンキスタ(Re-conquest:(国土回復運動)とよばれる。
 イベリア半島では、13世紀になって、イスラムのグラナダ王国ができ、南のイスラム教と北のキリスト教との政治的なバランスを取りながら、折衷の文化をつくった。王国の首都グラナダには、当時のアラビア数学を結集して、地上の楽園アルハンブラ宮殿が建設され、アラビア科学の威光を放った。しかし、イベリア半島のレコンキスタは、じりじりとイスラム勢力を追い出してゆき、やがて、イベリア半島に残るイスラムの領土は、グラナダだけとなる。1492年にアルハンブラ宮殿が陥落して、最後のイスラム王家の人々がモロッコへ逃げ去り、レコンキスタが完結する。)が完了した。イサベルが出資したコロンブスの船団がサンサルバドルに到達したのも同じ1492年のことであった。 この1492年はコロンブスによるアメリカ発見の年として世界史に登場する。しかし、より重要な意義は、スペインによるイスラム教徒からの国土回復いわゆるカソリック帝国建設が達成された年であり、カソリックはその集団性、閉鎖性から考えるとランドパワーの宗教であり、ジェノバの商人(ユダヤ人)に代表される当時の金融資本に対して、敵対的排除を行ったのである。いわゆる異端審問(Inquisitor、国王フェルデナンドと女王イザベラによって始まった。プロテスタント、ユダヤ人、イスラム教徒などが、異端者であった。ドミニコ会の修道士たちが異端者を探し出す任務にあたっていた。異端審問にかけられた者たちは、転向か、公開火刑が待っていた。)である。カソリックへ改宗するかスペインを出て行くかを厳しく問うたのである。一部は改宗してスペインに残った(Malano、マラノ)が、大半はピレネー山脈を超えてフランス、そして当時、宗教的自由があったオランダへと逃れた。
 これがスペインをランドパワーに引き戻し、オランダ、そしてイギリスといったプロテスタント諸国が勃興してくる根源的原因である。上述の無敵艦隊撃滅(1588年)はおよそ100年後のことであり、旧教国=ランドパワー、新強国=シーパワーの関係に終止符を打つ画期的なことであったが、根本的理由はスペインカソリック帝国による金融資本追放なのである。
 さらに、シーパワーがランドパワーになった例としてユダヤ人を挙げたい。彼らはローマに祖国を滅ぼされてから、二千年の長きに渡り、主に欧州大陸各国に寄食しマイノリティーとして生きてきた。キリスト教徒でないため、つける職業に限りがあり、キリスト教徒に禁止されていた、利子をとる金融業に活路を求めた。上記の金融資本の発生とは、これらユダヤ人の生活上の追い詰められた状況を抜きにしては語れないし、各国にわたって信頼できる同胞がいるという条件は為替、貿易といった資本主義を生む原点であり、欧州シーパワーの中核を担った。彼らは第二次大戦後二千年来の悲願であったパレスチナでの祖国再建を行った。つまり、二千年ぶりに土地に執着し、ランドパワーになったのである。
 その後の状況は多くを語るまでもないが、現在にいたるまで、パレスチナ人との間で、凄惨な殺戮が繰り返されている。こういうコストに合わないことをシーパワーはしないのであるが、土地を神聖視するランドパワーは一片の土地のために人を殺す。不断の軍事的緊張がもたらす、上述のランドパワーの閉鎖的精神、獰猛性を理解すれば、彼らの行動も分からないのではないが。
 古代ローマは当初ランドパワーであったが、カルタゴと戦った頃からシーパワーと化していく。カエサル登場以後帝政期を通じて、欧州内陸部への拡大に執心したころは、ランドパワーであった。ランドパワー化したために帝政になったのであろう。
 上記の代表例に挙げた諸国の中で、アメリカはかなり特殊である。アメリカは当初オランダ、次いで、イギリスの植民地として、移民を受け入れてきた。アメリカに渡った欧州人はシーパワーなのである。しかし、彼らはそこで、先住民の襲撃を受け、悩まされることになった。初期のニューアムステルダムはオランダ商人の根拠地であったが、先住民の土地を奪ったものであったため、常に襲撃を受け、それを防ぐため壁(Wall)を設けた。現在のニューヨークWall Streetである。アメリカは大陸であり、初期の移民は先住民の攻撃を常に受け、銃なしでは安心して眠られない状況、つまり、ランドパワーと同じく臨戦態勢であった。
 独立後は欧州諸国から、いつ武力侵攻されるかもしれないという事態にあった。この強迫観念はアメリカ人の精神構造に深く関わる。彼らの先住民への恐怖心は、現在、テロへの恐怖心と変わり甦った。これは、彼らを過剰防衛に走らせることになる。
 又、かっては、外交的にモンロー主義という孤立政策を採っており、30年代の大恐慌期において、スムートハーレイ法を成立させ保護主義に道を開いたことからも分かるとおり、ランドパワーの資質を十分備えている。アメリカがシーパワーとして世界に関わってくるのは二度の世界大戦以後のことである。この点は後に詳述する。
 人間は、否、生物は、生命維持に際して、一般的に保守的である。なんの問題もないのに、環境を変え、リスクをとって、新たな分野に進出しようとは思わない。「海」というあらたな空間に進出するのはそれなりに必要な「理由」、「条件」がいるのである。そして、新たな空間に進出するという困難な選択をした者は、合理的、論理的、先進的にならざるを得ない。船を動かすには星の動きを観測したり、測量、海図といった技術を習得する必要があり、旧来の人間関係は役に立たないのである。

△ それぞれの特徴
 ランドパワーとシーパワーの政治・経済・軍事・社会上の相違点を比較すると次表の通りとなる。
 シーパワー(海洋国家)とランドパワー(大陸国家)との比較
  シーパワー      ランドパワー
米、英、蘭、西、葡、華南     仏、独、華北、朝、韓、露
生息地:   沿岸部、島嶼部   内陸部、半島、砂漠
王権(規制): 弱い   強い
政治体制:   開放、民主     専制、独裁
国防体制: 海軍重視、志願兵  陸軍重視、徴兵
内政: 地方分権  中央集権
民族性:    先進的、開放的     保守的、閉鎖的
特質: 個人的、論理的  狡猾、残忍、獰猛
世界観: 共存共栄、パートナ  圧制支配、命令服従
社会基盤: 商業、金融業   農業、工業
経済観:   自由貿易、市場主義  計画経済、自給自足
国家戦略:   勢力均衡        周辺国直接支配
司法制度:   当事者主義  国家主義
会計制度: 市場中心 国家管理中心
若干の例外はあるが、大きく分けると上記のようになるのではなかろうか。

△ 日本における両者
 更に言えば、どの国においても、王様や貴族はランドパワーであり、商人はシーパワーなのである。その商人に対する王権による規制の度合いによって、上記区分が変わってくる。王権すなわち規制は地理的条件や時代背景によっても左右され、変容するので、上記区分も相対的なものと理解されたい。この点は後述する。
 日本は近代化に際して内政と陸軍をドイツ(プロイセン)に学び、外交と海軍をイギリスに学んだ点で、ランドパワーとシーパワー両方の要素を兼ね備えている稀な国である。又、欧州においてイギリスはシーパワーであるがその他諸国はランドパワーであり、両者の溝は我々が思う以上に深い。シーパワーであるがために、欧州大陸諸国の対立を上手く利用して、勢力均衡をはかり、安全保障してきたので、裏を返せば、真の友人がいないのである。アメリカは国内的には大陸国家であっても、外交的にみた場合大きな島国であり、第二次大戦以後、明確にシーパワーとして台頭してくる。
 (Vol.1完)


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