
◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略 VOL11
江田島孔明
△ 薩長政府
成立した薩長による明治政府は外交の観点からはイギリスの門下生となり、実質的にはイギリスの間接統治のような形態であった。若手をイギリスに留学させ、内政については憲法と陸軍を当時勃興してきた新興国プロイセンに学んだため、ランドパワーであった。当初、内政や憲法もイギリスに学ぼうとしたところ、イギリスの近代化は金融資本主導であり、日本の薩長主導による上からのそれとは事情が異なったため、当時興隆していたビスマルクのドイツ帝国がプロイセンという封建領主国主導で上から近代化を行っており、日本に似た事情から、参考になるとのアドバイスを得たのではと推察される。当時としてはやむを得ない選択であると考えるが、このシーパワーとランドパワーの重層構造が後に破滅を招くことになる。
△ 日露戦争
安全保障上の観点から朝鮮半島支配をめぐって、ロシアとの衝突に及んでロシア(ランドパワー)と組むかイギリス(シーパワー)と組むかという対立が起きる。前者の旗頭は伊藤博文であった。結果的にはイギリスと組んでロシアと開戦に至ったのであるが、イギリスの出方次第では逆の可能性すなわちロシアと組んでイギリスと開戦といった可能性だってあったのである。はからずも、この構図は40年後に実現する(三国同盟+日ソ不可侵条約で対英米開戦)。このことはいくら強調してもしきれるものではない。歴史にIfは禁物であるとされる。しかし、歴史の転換点というのは必然の結果ではなく、偶然の産物であることも多々あり、地政学的観点からリムランドの日本は大陸勢力と海洋勢力の相互の影響を受け、激突の最前線なのであり、ベクトルが大陸に向くか、太平洋に向くかはその時々の力関係と偶然に左右される。
いかにして明治期の日本がシーパワーとして台頭してくるかに関わるため、この辺りを少し詳細に見ていきたい。イギリスは、上述のように、17世紀の二度の革命を通じて、実態は共和制であり、国王ですら勅許なしには入れなかったCityを動かす金融資本家が国家の主である事は論を待たない。ロンドン市長とは永らく、この金融資本家による互選で選出されたギルドの組合長を指し、ロンドン市とはあくまでCityの内側を指すのである。普通選挙でロンドン市長が選出されたのはつい最近が始めてである。彼らが大航海時代、産業革命を通じ世界に乗り出していったであり、現在にいたるまで、イギリスの政策決定に大幅な関与を有している。イギリスとは商人すなわち金融資本が築き、その利権を守るため軍隊(国家)が乗り出すという構図なのである。日本で言えば戦国期の堺や博多がそのまま自治権を獲得し、国家を裏から操っているがごときである。彼らは資本主義を信奉し不断に市場を求め資源を求める。極東においては阿片戦争で清を屈服させ上海、香港といった地域での利権を確保し、日本とも貿易の実をとるべく安政の五カ国条約で鎖国政策を放棄させ通商権を得た。しかも治外法権と関税自主権を認めないという片務的かつ互恵でもなんでもない形で。
清に対する軍事力によるアプローチと日本に対する薩長を背後から操る間接支配のアプローチ(上述のように、薩摩長州が倒幕に成功したのはイギリスの支援で最新式の銃火器が安く調達できたことによる。戦国期の織田信長がポルトガルから硝石を輸入できたことにより、鉄砲の集中運用から、国内の統一ができたこと、徳川家康がオランダ船から長射程艦載砲を譲受け、関が原に勝利したことと、さらに、江戸期、徳川家による支配を安定させるため、諸大名に外国貿易を禁じたことと、本質は同じである。薩長がイギリスという外国勢力と提携したために、幕府は滅びたことは、この鎖国という政策が、徳川家の維持には役立ったことを反対証明として、雄弁に物語る。認めたくないが、外国勢力が日本の支配者を決めるという慣行なのである。これを対等なパートナーが見るか、エージェント(代理人)と見るかは読者の判断にまかせる。重要な点は彼ら外国人がその戦略商品を他の大名に渡していたら、そちらが天下を握っていたか可能性が高いということである。)の対比は興味深い。清においては中央集権国家であり薩長のようなコントロールできる反対勢力が存在せず、かつシンガポールという後背補給港を有していたことから軍事攻撃が可能であったこと。又、1860年代にイギリスが植民地政策から自由貿易政策へとシフト(穀物法が1846年に撤廃されると、英国の内側では産業資本主義が定着し、国際社会に対しては帝国主義が退き、グラッドストン内閣下自由主義的な「小英国主義」が基調となった。)したことがその理由であろう。植民地直接支配はコスト高でペイしないことをインドで学んだこともあろう。
この日英の蜜月言い方を変えれば師匠と門弟の関係は日露戦争まで続く。日英同盟によりロシアの南下を防ぐことに成功したわけであるが、1905年の改定でインドを守備範囲に入れていたことを知る人は少ない。これはインドにおける英の利権を守るために日本海軍は出動するということである。このように、日本はイギリスの忠実なるパートナーまたはエージェントであったため、両国に利害の対立はなかったのである。
△ 英米対立と日本の孤立化
第一次世界大戦の真の意味ということになるが、結果論ではあれ、3つの王制が破壊され欧州が困窮し日米が利を得た。ここで忘れてはいけないのはアメリカはイギリスのため、同盟関係にもないのに、血を流したという事実である。しかるに日本は駆逐艦派遣といったお付き合い程度であり、その後イギリスの信頼が若干揺らいだのは指摘できよう。
英米日ともに「シーパワー」であり、日英間では利害調整ができていたのだがそれを快く思わない新興海軍国たるアメリカ主導で日英同盟破棄が決定されたのが1921年のワシントン会議である。このことの意味は決定的に重大である。
私は本項の表題を「英米対立」とした。「日米」対立ではないのである。イギリスの統治とは自由貿易を通商面からサポートする海運および海軍力が前提である。そして日本もしかり。かつ、日英間では利害の対立はなかった。しかるにアメリカは後発海軍国でイギリス同様海外に市場を求める以上、両者の利害対立は決定的なのである。これは第二次大戦後、日本、中東を筆頭にイギリスの影響下にあった国や地域がほとんどアメリカ傘下に下っていることを見れば理解できよう。アメリカの日英ともに仮想敵とする長期戦略により、両国ともに同盟を失い漂流した。イギリスは英連邦があったが日本にはそれすらなかった。肝心な事は、英米ともに「金融資本」が主導する国であり彼らの関心事は市場と資源という点での世界の分割のみである。さらに、どちらもシーパワー同士であり、上述の法則に従いシーパワー同士は市場を巡って利害対立するのである。
騙されてはいけない。民主主義や人権など、金融資本の本当の意図を粉飾し粉塗するための大義名分にすぎないのである。そのような観点からみると、両者の利害は対立するに決まっているのである。アメリカは二度の世界大戦でイギリスを助けたではないかと思われる向きもあろうが、それは表面的な見方にすぎず結果として日本と中東(イラク)を筆頭にイギリスそのものが米の傘下に下った事実は否定できない。要は、英米ともに金融資本という「商人」が持ちたる国であり、江戸期以来今日に至るまで、二本差し(武士)=官僚が経済を差配していた国とはまったく社会構造が逆で、マインドが大きく異なるということを理解する必要がある。次項でアメリカがいかにしてシーパワーとしての「商人」すなわち、イギリスと同じような金融資本の持ちたる国となったかを見ていくこととする。
△ アメリカの台頭
第一次大戦を通じアメリカが世界のスーパーパワーとして名乗りをあげてくる。かの国は孤立主義を国策として欧州への不介入を貫くはずだったのだがこの戦略転換の背後になにがあったのか?私はアメリカにおける金融資本家の政策への影響を看過できない。
1929年NYで発生した大恐慌の結果、世界がブロック化していく中で日独といった後発資本主義国が武力に訴え生存圏を確保しようとする端緒となったしかし、大恐慌そのものの評価について、世界経済に与えたインパクト以上にアメリカにおける連邦政府の存在がクローズアップしてきたことは看過し得ない事実である。もともと、合衆国とは州に主権があり各州の主権を制限しない範囲で連邦に外交や安全保障を委ねてきたのである。そして外交的孤立(モンロー主義)を国是としていた。しかるにルーズベルト大統領のとったNewDeal政策は連邦主導の経済政策であり、この時期FBI、FRBを初めとする連邦諸機関が創建され強化されているのである。まさしくアメリカにおける連邦主権の管理国家が完成したのがこの大恐慌期なのである。建国の父たちの理念、州の連合により中央集権ではないキリスト教原理主義に基づく理想郷を築くことはこの時期死んだということが言えよう。ルーズベルト大統領のとった政策は違憲判決が多数出されていることも忘れてはいけない。
この視点は決定的に重要である。その後アメリカは連邦政府に引き連られモンロー主義という伝統的孤立主義の国策を捨て、世界に市場を求め、干渉していくのである。戦後の海外への米軍展開、駐留は合衆国憲法になんの根拠もない。そして、本来根拠がない事項は州に留保されるとの憲法上の規定(修正第10(州と人民の留保する権利)本憲法によって合衆国に委任されず州に対して禁止されなかった権利は、各州と人民に留保される。)があるが、米軍の海外駐留展開に対して州が同意を与えた形跡はない。はっきりいえば、海外市場獲得のため、NYの金融資本家がワシントンを通じて、アメリカを操作する契機を与えたのが大恐慌なのである。そして、彼らの究極の目的は中東と中国である。
△ 第二次世界大戦
大恐慌後のブロック経済化、市場獲得競争は武力進攻という形をとり、結果日独は敗戦した。今日、第二次大戦というと日独VS連合国としての史観しかない。しかし私が見るにこの大戦の本筋は世界の市場獲得における英米のデスマッチというのが真相であり、日独は単なるバイプレーヤーに過ぎず世界史的観点から見れば本当の意味は、イギリス金融資本(City)からアメリカ金融資本(NY)への覇権移行であると考えられる。
今日、日本人の大部分はこの歴史の真相を理解しているのであろうか?戦後チャーチルが吉田茂に日英同盟を破棄したのは失敗だったと告げたのはこのことを指しているのである。
△ 太平洋戦争
太平洋戦争の歴史的意義についても、ランドパワーとシーパワーの観点から読み解く必要がある。上述のように、日本は明治以来、陸軍はドイツに学び海軍はイギリスに学んだ。両者の戦略はそもそも大陸志向か海洋志向か大きく異なっており、相互の調整や連絡、あえて言えば国家戦略は全くなかった。それでも日露戦争の頃までは明治維新第一世代、いわゆる元老(伊藤博文や山縣有朋など)が実質的な陸海軍ひいては日本国家のオーナーとしてイギリスにお伺いを立てながら国家戦略を策定していた。日英同盟(1902年)締結にともなう日露戦争はその最たる例である。
しかし大正昭和と時代が下がるにつれ、元老という「オーナー」を失い官僚国家となっていく過程で陸海軍両者の意識あわせ、利害調整はできなくなってしまった。いわば官僚制度の弊害が極度に現れたのである。このような流れの中で、私は太平洋戦争開戦を決したのは2.26事件であったと考えている。
2.26事件の史的意義についてであるが、表面的には陸軍皇道派青年将校の決起と鎮圧とされている。しかし、より重大な意義は、それが陸軍上層部が意図していたことではなかったにせよ、客観的には陸軍が海軍に戦争を仕掛け、昭和天皇が鎮圧を決しなかったなら、陸海は内戦に陥っていた可能性があったということである。青年将校の決起直後、陸軍上層はこれを黙認あるいは追認する素振りをみせた。また、海軍は重鎮を殺されたため、戦艦長門を東京湾に入れ、陸戦隊を上陸させたのである。
結果として、昭和天皇の決断により暴徒として鎮圧され、内戦の事態は回避されたが、以後海軍は陸軍によるテロを恐れるようになり主導権を陸軍に握られていく。
その後の展開は、昭和14年にノモンハンで陸軍は仮想敵のロシアに大敗を喫し、中国戦線も膠着すると、全ての問題解決を海軍に振った。即ち三国同盟+日ソ不可侵条約(陸軍主導のランドパワー連合)から対英米(シーパワー)開戦である。当初海軍はアメリカとの開戦に反対であった。彼我の工業力の差から勝ち目がないし、石油をはじめとする戦略資源を英米に依存していたことを熟知していたからである。しかし、対英米戦を想定し、予算や人員を取っていたため、開戦できませんとは言えず、山本の近衛に対する五相会議での有名な発言「半年や一年は暴れて見せる」に繋がるのである。これは裏を返せば「半年や一年しかもたないから開戦するな」というメッセージを官僚的な保身と修辞でいっただけである。陸軍に押し切られてしまったのである。仮に2.26事件がなく、何らかの形で海軍主導が確立していたら、英米と連合しソ連と開戦していたであろう。実際、関特演(関東軍特別演習1941(昭和16)年7月7日独ソ開戦のとき日本陸軍が行なった動員。通称、関特演。6月に独ソが開戦すると日本は対ソ参戦を想定し、7月7日関東軍を動員。兵力を戦時定員に充実するほか、多数の部隊、弾薬・資材を満州(中国東北)に輸送した。この結果、関東軍は70万を越す大兵力となった。)はこの可能性を如実に示す。図らずもこの構図は戦後冷戦という形で実現する。上述の日露戦争と同じく、太平洋戦争の本質とはそのようなものなのである。
△ 陸軍の暴走
注意していただきたい。日米対立の原因を作ったのは陸軍が満州事変からシナ事変へ至る、大陸派遣軍の独走を中央が事後的に追認する形でいたずらに戦線を拡大し、膠着状態に陥った、いわば、大陸政策の破綻である。そのツケを彼らは自ら払う(中国本土からの段階的撤兵=責任問題発生)ことなく、全て海軍に振ったのである(対米開戦)これは我々がいやというほど見せ付けられてきた霞ヶ関の保身と問題先送り、無責任体制と全く同じではないか。薬害エイズ、BSE、不良債権処理と全く同じ官僚の保身と問題先送りが戦争の原因で300万の戦没者はその犠牲者即ち薬害エイズの犠牲者やBSEの農家、貸し剥がしにあう中小企業と変わるところはない。上述のところと矛盾するようであるが、ランドパワーやシーパワーなどというまでもなく、官僚の保身と問題先送りによって太平洋戦争の真の意味は語ることができ、さらにはその結果責任を誰も取らされていない!ことに気づくべきである。わが国政府は今日もA級戦犯はすべて戦没者として扱ってるのであり、今日に至るまで、先の大戦を総括できてない。よって、年金問題も全く同じ結果に終わるであろうと考える。即ち誰も責任取らず、犠牲は国民へと。
△ 戦後
2.26事件以降陸軍というランドパワーに牛耳られてきた日本であるが、戦後はアメリカというシーパワーによって武装解除され、外交的には、再度シーパワーの一員になった。しかし、日本内部には陸軍の残党およびランドパワーが根強く、これが結実しシーパワーに反旗を翻したのが田中角栄以降の田中派、中川一郎、金丸信などであり、鈴木宗男につらなる系譜である。田中による日中国交回復はその白眉であり、彼がロッキード事件により潰された事は、シーパワーたるアメリカが彼の政策(日中国交回復、資源外交)をどう見ていたかを物語る。
反対にシーパワーは吉田茂、岸信介、佐藤栄作から中曽根康弘に連なる流れである。現在の清和会に代表されるいわゆる台湾派である。田中角栄以来のランドパワーの総本山である橋本派の影響力が落ち、こうみてくるとシーパワーにとって、「好ましからざる」ランドパワーが駆逐されていることが理解できよう。2000年10月に発表された、「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」(‘The United States and Japan: Advancing toward a Mature Partnership’)と題する報告は、ブッシュ政権の国務副長官に就任したアーミテージが深く関わったもの)。いわゆるアーミテージレポートにおいて、高速道路や橋といった彼らの利権に基づく社会インフラ整備の中止を求めていることは興味深い。彼らは現在ではマスコミによって「抵抗勢力」という呼称が与えられているが、その本質はランドパワーである。ランドパワーにも使い道はある。韓国や台湾には帝国陸軍出身者がかなりの層でおり、かれらとのチャネリングをやらせればいいのだ。アメリカには気づかれない程度で。余談ではあるが北朝鮮は大日本帝国陸軍の鬼っ子であるという気がする。
△ プラザ合意
1980年代まで、上記の冷戦構造の中、日本に対する保護育成方針をとってきたアメリカではあるが、ベトナム戦争以後、財政的にもたなくなり、大幅な戦略の変更に踏み切った。
これが製造業をあきらめ、金融業により利益を上げるということであり、さらに国債を発行しその大部分を日系機関投資家が買うという構図つまり、日本の資本でアメリカを運営するということである。日本経済がおかしくなったのは1985年9月のプラザ合意以降である。プラザ合意とは、1985年9月にニ ューヨークのプラザホテルで開催されたG5(先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議)における「ドル高是正のための協調介入」に関する合意である。プラザ合意後、円相場は「1ドル=260円台」から「1ドル=120円台」に急騰した。要するに、当時の「円安ドル高」を「円高ドル安」に誘導しようというのがプラザ合意であった。
昭和59年末に、円、ドルレートは1ドル=251円のドル高円安であった。これは第二次オイルショックによって国際資金をアメリカに集中させた結果である。1985年(昭和60年)に五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)がニューヨークのプラザホテルで開かれ、
(@)経済政策の協調をいっそう進める。
(A)為替レートの適正化のため、より密接に協力する。
(B)保護主義に反対する。
で意見の一致をみた。というよりも押し付けられたというのが真相であろう。この、「為替レートの適正化のため、より密接に協力する」、が問題であり、特にドル高を是正するため、アメリカを含めて各国は協調してドルを売り、円とマルクを買うという「協調介入」をするという趣旨の共同声明を発表した。日銀は大量のドルを売って円を買うという操作を行って、前日比11円90銭高の1ドル=230円10銭となり円は急騰した。昭和61年1月には1ドル=200円となったがこれまでは各国が合意したドル高修正である。その後、アメリカ政府高官のドル安容認発言の「口先介入」でドル安は進み昭和62年2月には1ドル=150円台となり、「誘導されたドル安」が「勝手に下がるドル」へと変質した。そして、パリG7はつぎの骨子の共同声明(ルーブル合意)を行った。
(@)各国は現行水準程度で為替相場を安定させるため、緊密に協力する。
(A)これ以上の急激な為替相場の変動は、各国の経済成長と構造調整を阻害する。
(B)現在の為替相場は各国経済の基礎的条件とおおむね合致した範囲内ある。
政策協調の一環として、日本は内需拡大対外黒字削減のための財政金融政策を続け、アメリカはGNPに対する財政赤字比率を圧縮し、西ドイツは減税規模を拡大するこのルーブル合意によって、円・ドルレートはしばらく安定し、1ドル=140円台が厚い壁とみられていた。しかし1987年のブラックマンデー後、ドロールEC委員長の「アメリカは1ドル=1.60マルクを切るドル安を検討している」とアメリカのニスカネン前経済諮問委員長代理の「ルーブル為替安定合意の明確な中断が望ましい」の発言から、ルーブル合意による国際協調体制の足並みの乱れを読み取り、ドルは売られ、1ドル=140円の壁はいとも簡単に破られ、昭和63年には東京市場は1ドル=121円となり、1ドル=100円時代の到来が、にわかに現実化した.
プラザ合意によって、ドルの切り下げによりアメリカは自国の借金の負担を軽減することに成功し、日本は大幅な円高を選択し製造業における競争力を放棄することを余儀なくされた。そのことにより日本は国際的に生産コストがドルベースで倍増することとなり企業は国際競争力を維持するため生産拠点を海外に移すしかない状態となり産業の空洞化が進んだ。(日本の製造業は優秀だったため1ドル240円ではアメリカは太刀打ちできなかった。1ドル120円になり24万円の商品が1000ドルから2000ドルになりようやく太刀打ちできるようになった。この結果、日本製品は100%の関税をかけられたのと同様の事態になった。)また一方で日本が数百兆円の公共投資を行い国として大幅な債務を負うことを約束した。(これは後に1990年の公共投資基本計画でより一層具現化する。)
このプラザ合意以降、日本の経済政策は完全にアメリカに対し従属を続けている。そして、不自然な円高を続けることによって内外価格差は拡大したままとなり果てしないデフレ不況に陥る遠因となった。デフレの理由はもちろん為替だけではない。しかし、このプラザ合意により為替を実質的に「放棄」した(させられた)ことが響いていることは間違いない。プラザ合意に続いて協調利下げがあったことも見逃せない。実際はアメリカ内でインフレによりバブルを起こそうとしたFRBが金利差があると資金が日本へ流出することを恐れ、利下げを日本に強要したものと推定される。これが現在にいたる日本経済の根幹的破壊たるバブルを生み、不良債権を発生させたのである。当時のアメリカはランドパワーソ連との冷戦の真っ最中であり、アメリカに安全保障を依存している日本としてはアメリカの為替、金利圧力受け入れは安全保障コストであるという認識であったのであろうか。当事者はその意味を後世に明確に伝えるべきである。(次号に続く)
◯ <追記1> ヘラルド・トリビューン7月5日の記事
中国の環境破壊、エネルギー不足が相当に深刻さを増しており、世界は中国の経済発展を保証できるほどエネルギーを供給できないし、環境悪化の結果、人が住めなくなることも明らかにしている。中国経済のボトルネックはエネルギー不足と環境破壊だ。中国が今後も経済発展するなどという評論家は下記記事を読んだ方がいい。
China strains to head off power shortages
SHANGHAI With the hottest days of summer fast approaching, Shanghai is making preparations to seed clouds over the city in order to make it rain, in the hope that a couple of degrees of reduced temperatures will help ward off brownouts, or worse, here in China's commercial capital.
Even now, city inspection teams are visiting factories, identifying the least efficient energy consumers, possibly to be closed down for a time, and thermostats are being raised in public offices. City officials say they are even contemplating shutting down the huge flashing advertising signs that made the Bund, or downtown riverfront in Shanghai, China's largest city, the neon equivalent of Times Square.
With China projecting a 20-million-kilowatt shortfall in electricity supplies this year, actions like these are anything but isolated. With severe power shortages predicted for the country's southern and eastern regions, Guangzhou, China's third-largest city, an industrial powerhouse, has had rationing since January, six months earlier than the emergency measures put into effect last year.
Discussions about China these days are often dominated by economic terms like "overheating" and "hard versus soft landings."
What is described as being at issue, typically, is whether the country's leaders can continue to successfully manage this huge and increasingly complex economy at growth rates that are among the world's fastest.
The rush to find short-term, sometimes even fanciful-sounding palliatives for the country's immense power crunch, however, reflects creeping doubts of a more profound order. These concerns have recently been expressed even at the level of China's normally serene and self-confident-sounding senior officials.
The worry, put bluntly, is that the world simply may not have enough energy and other resources for China to continue developing along present lines, especially at its present rate. Furthermore, sharply increased environmental damage might make the country unlivable, even if such growth could be sustained. China's predicament is reflected in a simple statistic: This country is already the world's second-largest consumer of energy, and yet per capita, the Chinese consume scarcely 10 percent of the energy used by Americans.
In material terms, the contemporary Chinese dream is not so different from the traditional American dream, of spacious homes full of power-consuming appliances and a car or two in the driveway, and there lies the source of concern for the country's leaders, and for the world. As urbanization gathers pace here, there is a growing sense that such dreams will collide with insuperable limits.
"If we use the patterns of today, China cannot double its economy," said Chen Jinhai, director of the Shanghai provincial government's Energy Commission and Environmental Protection Department. "We would need the energy of Mars or other planets. Our consumption may still be less than the U.S. or Japan, but the key for our future will have to be greater efficiency." Chen is far from a lone voice speaking about the severe environmental and resource limitations that will challenge this country's seemingly irresistible rise of late. Indeed, his perspective echoes that of senior policy-makers in Beijing.
"If we continue with the massive consumption of resources, shortages will only get worse, it will become very hard to maintain stable, high-speed growth, and the economy risks declining greatly," wrote Ma Kai, director of the State Development and Reform Commission, in a sobering recent article in People's Daily, the Communist Party newspaper. "Now we are at a key point in the industrialization and urbanization process. If we don't transform our economic model, we could lose the ability to grow."
For some, statements like these represent the dawning of a new kind of awareness, not unlike what happened in Japan between the outbreak of a huge industrial poisoning tragedy at Minamata in the 1950s and 1960s, and the oil shocks of the 1970s, when that country began to question its blind pursuit of growth in its gross domestic product.
They also signify an acknowledgment that whether measured in use of resources or, increasingly, in use of capital itself, the very economic model that has given China growth rates that are the envy of the world is wasteful in the extreme.
According to Zhang Jun, a prominent Chinese economist who has made a comparative study of China and India, China consumes three times the energy and 15 times the amount of steel of its neighbor, even though the Chinese economy is only roughly twice the size, and is growing only about 10 percent faster than India's.
Part of this picture comes from an intensive focus on manufacturing and exports, which many economists say has led to overindustrialization and empty growth. Much responsibility for wastefulness can be laid to duplication, with each province - and indeed many city governments - simultaneously pushing for the same kind of growth, based on industrial parks and manufacturing zones. The municipalities that boast of becoming China's Silicon Valley, to take one common example of this trend, are almost too numerous to count.
The toll on China's environment from this growth-at-any-cost strategy has been alarming. China's official development goal is to build what the government calls a well-off society by 2020, yet today the growth that makes such dreams permissible has left China with 16 of the world's 20 most polluted cities, according to the World Bank.
The Chinese government says that 90 percent of urban residents face serious water pollution problems. By another estimate, 700 million Chinese must make do with contaminated drinking water. Even the country's seas are increasingly under siege from industrial pollution and are regularly choked by red tide infestations. The New York Times
下記記事は、WTO加盟しても、中国が知的所有権を尊重する気が無いことを示す。こういうことをやると、外資撤退に拍車をかけるだろう。
△ バイアグラ特許、中国で取り消し・米ファイザー反発 (日経7月8日)
【ニューヨーク=篠原洋一】米ファイザーは7日、中国政府が同社の主力製品であるぼっ起不全(ED)治療薬「バイアグラ」の特許を取り消したことを明らかにした。特許が期限切れ前に取り消されるのは極めて異例。中国政府は取り消しの理由などを近く正式に公表する見通し。同社は納得できないとして決定見直しを訴えていく方針だ。
同社はバイアグラの中国での特許を2001年に取得した。すでに多数の偽造品が出回っているとされ、特許取り消しで正規の後発医薬品が相次ぎ発売されるのは確実。今回の取り消し決定は米医薬大手の中国戦略にも影響を与えそうだ。(10:19)
アメリカは今後、確実に対中圧力を強める。何故なら、弾道ミサイルの中東への拡散阻止はアメリカの世界戦略にとって死活的に重要だからだ。
この観点から下記の二つの記事は関連していると思う。つまり、中国がICBMの実用化に成功した以上、アメリカは中国を潰すことを決意したということだ。かってのソ連のように。
△ 中国が今月、ICBM実験=ロシア側に事前通告
【モスクワ7日時事】タス通信は7日、ロシア国防省の情報として、中国が今月、新型の移動式大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風31」など大型ミサイルの発射実験を3回実施する予定だと伝えた。中国側から同省に事前通告があったという。(時事通信)
△ 台湾海峡の安定保持求める=ライス米補佐官、江沢民氏と会談
【北京8日時事】ライス米大統領補佐官(国家安全保障担当)は8日、中国訪問のため、北京入りし、江沢民中央軍事委員会主席(前国家主席)と会談した。同日夜の中国中央テレビによると、同補佐官は席上、台湾問題について、「一つの中国」の原則を堅持する一方、「現状を改変するいかなる一方的な動きも支持しない」とするブッシュ大統領の意向を伝えた。
下記のように、東シナ海は今後確実に緊張する。日本はこうなることを恐れて資源調査しなかったのだが、先にやったのは中国であることを強調したい。 [北京 8日 ロイター] 新華社によると、中国は、日本が東シナ海で開始した海底資源調査について、危険かつ挑発的として非難した。日本政府は7日、海底資源調査を開始したと発表。中国側が進める天然ガスの採掘プロジェクトから、日本の権益を守るため、と説明した。
中国は最近になって、日本が排他的経済水域(EEZ)とみなしている領域から5キロの地点に天然ガスの採掘施設を設けた。日本側は、日本のEEZからガスが採掘されるのではないか、と懸念を強めている。新華社によると、中国の王毅外務次官は7日、阿南惟茂駐中国大使を外務省に呼び、中国は日本の動きを容認することはできない、と述べたうえ、「その危険かつ挑発的行為に強く反対する」との立場を伝えた。
◯ <追記2>
ブッシュ政権がイラク情勢について、欧州やアラブ諸国とよりをもどすために、協調主義に傾けば傾くほど、イスラエルの右翼は危機感を募らせ、極端な行動に出る可能性が高くなることを忘れてはいけない。下記の記事は超重要だ。アメリカが欧州やアラブ諸国と妥協することは、イスラエル切捨てに繋がるからだ。
このままいくと、911を上回るショック、すなわちイスラエルによる核を用いた先制攻撃もしくはテロの可能性は非常に高い。それこそが真の黙示録の実現の引き金だ。
△ イスラエル、国内の超国家主義暴力に対し警戒強める
[エルサレム 5日 ロイター] シャロン・イスラエル首相によるガザ地区撤退案をめぐってユダヤ急進主義が台頭し、超国家主義者による暴力や、首相暗殺の試みなどが懸念されている。複数の治安筋が5日明らかにした。
治安筋によると、9年前にパレスチナとの和平交渉妨害を狙ってラビン元首相が暗殺されたような事態を回避するため、ここ数カ月、首相の警護が一段と強化されている。ただ、これまでのところ、暗殺をにおわせる具体的な情報はないという。
政府高官は今週、潜在的に挑発性のある超国家主義者の言論に対する規制措置について協議する。 ある治安筋は、「最初は煽動から始まり、それから脅迫になっていく。ラビン(元首相)のときも同様で、終わりが読めない」と語った。
△ 非核化へイスラエル訪問 IAEA事務局長
【エルサレム6日共同】国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長が6日、中東非核化への協力を訴えるためイスラエルを公式訪問する。8日までの滞在期間中、シャロン首相らと会談する予定。
事務局長の公式訪問は1998年に続き2度目。イスラエルは戦術核を保有しているとされるが「中東で核兵器を使用する最初の国にはならない」との立場を表明するだけで、保有を否定も肯定もしない政策をとっている。首相関係筋は、事務局長の訪問でも政府見解を変えないとしている。
イスラエルでは4月、核開発を英紙に暴露し国家反逆罪などで18年間収監されていたイスラエル人技師が出所。世界中のメディアや反核団体が刑務所前に集まり、あらためてイスラエルの核保有に注目が集まった。
△ イスラエル首相暗殺計画あることに疑いの余地ない=警察相
[エルサレム 6日 ロイター] イスラエルのハネグビ警察相は6日、シャロン首相のガザ地区撤退計画を阻止するため、首相ら政府高官を暗殺する準備を進めているユダヤ急進派がいることに「疑いの余地がない」との見解を示した。チャンネル2テレビに語った。 前日には、シャロン首相が反対派の挑発的な発言を規制するよう指示したばかり。
△ イスラエル、「イランが核開発」と主張(日経7月8日)
【カイロ=金沢浩明】イスラエルからの報道によると、同国を訪問中の国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は7日、イスラエル原子力委員会の委員長をはじめ核政策関係者と会談した。事務局長によると、イスラエル側はイランが核兵器の開発を目指している可能性が高いと主張した。
これに対しイラン外務省は国営テレビで「イスラエルは自国の核開発を隠すためにイランに矛先を向けようとしている」と反論した。
エルバラダイ事務局長は核兵器の保有を「否定も肯定もしない」政策をとるイスラエルに「中東非核地帯」構想への協力を要請。ここ数年IAEAがイラクやリビア、イランなどで拡散阻止の活動を続けてきたことを踏まえて「核兵器保有の疑われるイスラエルを放置するのは二重基準だとの批判が中東で強まっている」と指摘した。
イスラエル側はあいまいな政策の安全保障上の必要性を強調、核拡散防止条約(NPT)への加盟も「包括的な中東和平実現が前提」との主張を繰り返したという。 (13:01) 以上 (江田島孔明、Vol.11完)
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