
◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略 VOL25
江田島孔明
今回は、アメリカ大統領選の結果を分析してみたい。前提として、「アメリカ」の本質を考えてみたい。
△ アメリカの国家体制を認識する必要
日本では、アメリカの正式国名は「アメリカ合衆国」と訳されるが、全くの誤訳であり、50のStates(国)がUnite(連合)してできたと考えると、「アメリカ連邦」あるいは、「国家連合アメリカ」と訳すのが正しい。
現に連邦最高裁判所や連邦準備制度理事会(FRB)、連邦政府などのように、国家機関は「連邦」と呼ばれている。州のあり方も中央に従属する日本の都道府県ではなく、あくまで、独立国と考えるべきだ。1つ1つの州が独立した「クニ」で、それを取りまとめるのが連邦政府といえるだろう。では、NYに本拠をおく、United Nations とUnited Statesの違い、すなわち、Nation とStatesは何なのか。
日本語では、それぞれ「国」「州」と訳されているが、本質的な違いを無視している。つまり、Nationは、自然発生的に誕生した、歴史をもった、民族国家(例:日本やフランス)を指し、Statesは、ジョン・ロックの社会契約説に基づいて、契約によって成立した人工の契約国家(例:アメリカ)を指すと考える。
アメリカという国が自然発生的に誕生したのではなく、英国での迫害を逃れたメイフラワーの入植者が「契約」にサインして植民地生活を切り開いたことがアメリカの原点であり、独立宣言もこの文脈で理解するべきだ。両者の最も大きな相違は、加盟や離脱を認めるかどうかだ。民族国家に合法的な加盟や離脱はないが、契約国家には合法的な加盟や離脱がありうる。(政治的に認めるか否かは別問題。「離脱」については、後述する南北戦争で問題となった。)
さらに、アメリカ国土は広大だ。カリフォルニア州の面積だけで、日本はすっぽりと収まってしまう。日本の首相とカリフォルニア州知事が同じ程度の仕事量を抱えている(経済力でも、日本はアメリカに次いで世界第2位、カリフォルニア州はなんと世界第5位)と考えると、日本と同じ感覚では国としての行政が成り立たないのも納得がいく。
△ Statesの独立性の背景
独立性が高い背景には、各州の歴史的違いがある。では、なぜそれほど州の独立性が高いのか。
ニューイングランドなどの東北部の開拓は、1620年にメイフラワー号でイギリスから到着した、宗教的に弾圧された貧しい清教徒たちが行っている。一方東南部は、イギリスの貴族がイギリス国王から開発許可状をもらって開拓した歴史を持つ。またスペイン人が入植したフロリダ、フランス人が入植したルイジアナというように、地域による開拓史の違いが大きい。その人種から言語まで違う人たちの「国」を連合して、1にまとめたのが「連邦」なのだ。死刑が州によって合法・違法が異なることや、州が変われば法律や税金が違うのもそのためだ。州は国であり、連邦は国連だと理解すればいいだろう。
1、Statesと連邦の力関係
United States とUnited Nationsの最も大きな違いは、その指導力にある。これは、アメリカ大統領と国連事務総長の権力の違いを思い出してもらえばいいだろう。ではなぜ、両者はこのように大きな違いを生むようになったのか。実は、この点にこそ、アメリカの抱える、最大の問題、すなわち、Statesと連邦の緊張関係の問題が存在する。アメリカの歴史とは、当初は国連と同じような脆弱な権限しかなかった連邦が、Statesに対して権限を強化していく歴史でもあり、その点を以下に見てみる。
2、建国の理念
アメリカとは、本来はピューリタン(キリスト教原理主義者)が作ったキリスト教の理想郷であり、宗教保守の素地が非常に強い土地柄だ。そして、ライフスタイルとしては、農村中心であり、保守的ランドパワーが主体であったといえる。英国王を拒否して逃れて来た人達だけあって、中央集権には拒否反応を示し、この傾向はアメリカ独立においても、大きくは変わらなかった。あくまで、主権は州にあり、連邦は州によって委任された事務のみを行うと憲法に定められている。
独立後のアメリカは13州の国家連合であったが、より強力な中央政府を望む保守派を中心1787年9月17日フィラデルフィアのステート・ハウスで開かれた憲法制定議会(制憲議会)でこの憲法が制定された。
議長を務めジョージ・ワシントン(George Washington−1732〜1799。アメリカ独立革命で植民地軍総司令官として独立を獲得、1789年初代大統領に就任。97年の引退まで国内諸勢力の調整・中立外交に努め、アメリカの基礎を固めた)は、「賢明で正直な人々に尊敬してもらえるような憲法をつくろうではないか。事の成り行きは神のお心に委ねよう」と会議の冒頭で述べた。
アメリカの州レベルを除けば世界で最初の成文憲法であり、厳格な三権分立・連邦主義・硬性憲法という特色をもつ。しかしこの憲法には人権に関する規定がなかったので、フランス憲法が制定された1791年に修正10か条が追加され(「権利章典」と呼ばれる)、その後、南北戦争による奴隷制の廃止等、現在までに26か条の修正が加えられている。
言い換えれば、アメリカ合衆国憲法制定が、中央集権化への第一ステップであったのだ。
3、アメリカの変質
アメリカとは国家連合であり、主権は国家としてのStatesに存在することの証明として、下記、憲法修正第十条がある。
この条文は、主権はStatesにあり、例外的に委任された事項のみを連邦が執り行うという意味の規定だ。
<参考>
合衆国憲法 http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html
修正第十条 本憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止されなかった権限は、それぞれの州または人民に留保される。
本来、アメリカの保守派は中央集権に否定的であり、憲法においてもこのようなセーフティーロックをかけ、Statesの主権を死守しようとしていたのだ。
このような、Statesと連邦の関係に大きな変化をもたらしたのは、19世紀の南北戦争だ。
当時、北部には産業革命が進展し、1830年ごろまでには初期の資本主義社会がすでに出来ていたが、南部はタバコ栽培から綿花栽培に中心が移動しながらも、大規模なプランテーション経営が盛んで黒人奴隷を労働力として使用していた。これに対して西部は,西部という概念自体が西へ向かってどんどん移動しながらも,北部とも南部とも違った独特の社会をつくりあげていた。フロンティア=スピリットがやがて国民性の一つと言われるほど、西部の存在は大きくなっていった。これら三つのセクションは、それぞれがみな相容れないほど違った特色をもっていて、三つの国として別個に発展しても不自然ではないほど際立っていた。これらの利害の対立は何度か政治的妥協を重ねながら衝突を回避していたが,そのような努力も限界が近づいて,1850年代を迎えることになった。
この対立のうちとくに目立ってきたのが北部と南部である。北部は、中央集権的で保護貿易を望み、商工業を中心として、奴隷制に反対した。南部は、地方分権的で自由貿易を望み、農業を中心として奴隷制度の拡大を狙っていた。事実南部の綿花はアメリカの輸出産業の第1位にあった。
要するに、商工業をベースとするシーパワーの北部と、大土地所有と綿花生産に依拠するランドパワー南部との対立だ。前者がケリー、後者がブッシュの支持基盤であることはいうまでもないが、今年の大統領選は現代の南北戦争ともいえる。
南部13州は主権の行使として、連邦を離脱しようとしたのだが、北部がそれを武力で鎮圧し、結果として、南部の北部への隷属、Statesの連邦への従属が始まる。
△ 大恐慌の影響
Statesと連邦の力関係を圧倒的に連邦優位に変えたのは、1929年の大恐慌後の、ルーズベルト政権だ。
第一次大戦を通じアメリカが世界のスーパーパワーとして名乗りをあげてくる。アメリカは孤立主義(モンロー主義)を国策として欧州への不介入を貫くはずだったのだが、この戦略転換の背後になにがあったのか?私はアメリカにおける金融資本家の政策への影響を看過できない。
1929年NYで発生した大恐慌の結果、世界がブロック化していく中で日独といった後発資本主義国が武力に訴え生存圏を確保しようとする端緒となったしかし、大恐慌そのものの評価について、世界経済に与えたインパクト以上にアメリカにおける連邦政府の存在がクローズアップしてきたことは看過し得ない事実である。
上述のように、本来アメリカとはStatesに主権があり、各Stateの主権を制限しない範囲で連邦に外交や安全保障を委ねてきたのである。そして外交的孤立(モンロー主義)を国是としていた。
しかるにルーズベルト大統領のとったNewDeal政策は連邦主導の経済政策であり、この時期FBI、FRBを初めとする連邦諸機関が創建され強化されているのである。
まさしくアメリカにおける連邦主権の管理国家が完成したのが、この大恐慌期なのである。建国の父たちの理念、州の連合により中央集権ではないキリスト教原理主義に基づく理想郷を築くことはこの時期死んだということが言えよう。
ルーズベルトは在職中、不況の打破を口実として、大きな政府政策を実行に移した。たとえばNewDeal政策はその一貫だし、企業の国有化政策を推進した。(連邦最高裁判所で違憲判決を受けたことでこの政策は頓挫した)。
ルーズベルト大統領の政策とその背後にある思想は、民主党のそれを代表するものであって、民主党の依拠する政治哲学とは、左派の中央集権政府が社会を管理し統制するというものである。この点にアメリカの南部保守層は激しく反発するのだ。
この視点は決定的に重要である。その後アメリカは連邦政府に引き連られモンロー主義という伝統的孤立主義の国策を捨て、第二次大戦に参戦、勝利し、世界に市場を求め、干渉していくのである。
戦後の海外への米軍展開、駐留は合衆国憲法になんの根拠もない。はっきりいえば、海外市場獲得のため、NYの金融資本家がワシントンを通じて、アメリカを操作する契機を与えたのが大恐慌なのである。
そして、彼らの究極の目的は中東の資源と中国の市場である。これが民主党が対中宥和策をとる理由だ。
なお、上述のNewDeal政策は不況の打破のための公共事業としては効果がなく、アメリカ経済の立ち直りには、第二次世界大戦に伴う、軍需産業の拡大、つまり、公共事業としての軍需によって、初めてなされたことは特筆すべきである。
この時期以降、アメリカの景気は軍需なくしては維持できなくなってしまった。日本の景気が土木公共事業なくして維持できないよう。
△ 二つのアメリカ
以上を要約すると、元々、ランドパワーの閉鎖的保守的キリスト教原理主義者が建国したアメリカが独立戦争、南北戦争、そして大恐慌を境に中央集権のシーパワー国家として変質していき、二度の世界大戦から、冷戦を通じ、Statesに対する連邦の優位は決定的となったことがわかる。
もっと簡単に言うと、内陸部の田舎の人間は自分たちを庇護してくれる者に絶対的な忠誠を誓う。しかし、沿岸部の都会の人間は自分たちを束縛せず、自由を与える者に共鳴する。
現在、アメリカで起きていることは、東西両岸と五大湖周辺のシーパワー地域に対して、劣勢にあった内陸部や南部といったランドパワーが逆襲し、こちらが優勢になりつつあるということだ。この両者の溝は拡大するばかりで妥協不可能なものだ。背景として、移民増加に対する白人の嫌悪や産業の空洞化、テロへの恐怖があると思う。
△ モンロー化
より根本的にはアメリカ人の「モンロー化」があると考える。内陸部や南部の住人はそのほとんどが小さな町に住み、世界地図など見たことが無く、日本とフィリピンの区別もつかず、アメリカの人口は10億人くらいと信じているような人が大半で、関心事は地域と家族に限定される。これが本来のアメリカ人の姿であり、「大草原の小さな家」を思い出してもらえばいいだろう。
要するに、ブッシュ再選の真の意味は、対テロ戦やイラク戦争への支持ではなく、「アメリカ人の先祖がえり」だ。ブッシュに投票した人の大半は、イラク戦争を含む、海外のことには全く関心が無い。イラク戦争は争点ではなかった。NYからの国際金融資本の逃避、有色人種の締め出しが、今後、確実に起きるだろう。 以上
(江田島孔明、Vol.25完)
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